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コーシャ・フェレンツ氏講演会
「ヨーロッパ・ピクニック計画」とはなんだったのか ―体制転換後20年の現在から考えること―

2009.11.25 We. 18:00-19:30 :日時
東京大学・駒場キャンパスⅠ 18号館4階コラボレーションルーム4 :会場
ハンガリー語(日本語通訳つき)、英語 :言語
「ヨーロッパ・ピクニック計画」とはなんだったのか―体制転換後20年の現在から考えること―
コーシャ・フェレンツ (ハンガリー・映画監督・元国会議員)
コーシャ・フェレンツ(Kósa Ferenc)

映画監督。1989年のハンガリーの体制転換に際して、知識人として積極的に行動し重要な役割を果たした。体制転換後、国会議員として16年間政治にたずさわる。

ハンガリー東部のニーレジュハ-ザ生まれ。

1963年にブダペストの演劇・映画学院を卒業し、「バラージュ・ベーラ・スタジオ」のメンバーとなった。

1961年に、「あるふだんの日に関するエチュード」で映画監督デビュー。短編映画「光り」(1962年)、「ある湖の歴史についてのノート」で、作品のテーマを叙情的な比喩表現として映像化した才能が認められた。その後、劇映画において、市民的立場を強固に守り抜く勇敢さと社会と歴史における個人の自己責任に関する思想が、特に、「一万の太陽」(1965年、1967年公開 カンヌ映画祭最優秀監督賞受賞)、「審判」(1970年)、「雪が降る」(1974年)「ゲルニカ」(1983年)、「もうひとりの人」(1987年)で描かれ、多くの賞を獲得した。

「もうひとりの人」(1987年)は、東欧革命の2年前の1987年に、公開されたものだが、ハンガリー映画としてはじめて、1956年のハンガリー事件を反革命的な暴動だったとする従来の公式視点を排除して、正当な革命だったと描き直したものであった。その点で、この作品はハンガリー国内で大議論をまき起こし、ハンガリーを東欧革命の突破口とする機運を導く上で大きな役割を果たしたと言われている。だが、当時、まだソ連からの反発なども配慮し、国外への作品輸出は禁止されていた。そのため、1990年10月、東京の東欧映画祭での公開が最初の国外上映だった。

1998年には、岐阜県の「白川郷」と「正眼寺」などもハイヴィジョン撮影している。

また、ハンガリー革命を経験し、ベルリンの壁崩壊のきっかけとなった1989年5月の「ヨーロッパ・ピクニック計画」の指導者でもあった。
 

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