センター刊行物

書籍

ドイツ国民の境界
近現代史の時空から

水野博子・川喜田敦子 編
山川出版社(2023年)

「ドイツ」とは何か。「ドイツ国民」とは誰か。ドイツ語圏の歴史を振り返れば、「ドイツ」という領域、「ドイツ国民」という集合体が決して固定的なものではなく、伸縮自在で可変的であり続けてきたことはおよそ自明のことといえる。〈革命―世界大戦―ナチズム―冷戦―新自由主義―グローバル化〉と続く激動の近現代史において、ドイツ語圏は、民衆蜂起、マイノリティの抑圧、強制移住、紛争・戦争、大量虐殺を経験し、そのなかで「ドイツ」と「ドイツ国民」を規定するさまざまな境界が創り出されてきた。 「境界」という観点からドイツ語圏の近現代史を見直すにあたっては、二つの相互補完的な問いからのアプローチが求められる。一つは、境界がどのように社会の分化・分断を固定化させることになったのかという動態的側面を重視する問いである。もう一つは、いったん定着してしまった後の境界の静態的側面、すなわち境界がどのような場面で政治的、経済的、社会的、文化的に作用したのかという問いである。 本書の目的は、ドイツ語圏における「境界」の生成と作用について具体的な事例をもとに検討し、「多層性」や「曖昧性」、「排他性」と「包摂性」という境界のさまざまな特性が表出する場面とその背後にある論理をそれぞれの歴史的文脈に沿って抽出することにある。それにより、「境界」を生きた人々の歴史に接近しつつ、伸縮自在で可変的なドイツ語圏の歴史の一端を描き出すことができるであろう。これは、「国民国家」を思考の前提とするのではなく、むしろ国家の存在を所与のものとしない、それ自体複数のドイツ人、ドイツ国民の社会や思想の歴史を追う試みであるといえる。 今日のヨーロッパでは、グローバル化のなかで移民・難民が流入し、その受け入れをめぐって社会的・国民的な境界が問われる事態が起きている。ロシアのウクライナ侵攻もまた境界を問うことの必要性をわれわれに提起する。境界線の引き直しによって紛争に巻き込まれた人々が住み慣れた生活空間を追われ、これらの人々を受け入れる社会の側もまた変容を迫られるからである。ドイツ語圏の経験は、今日ヨーロッパに起きている戦争、各地に蔓延する閉塞感、排他的な世論の高まりの淵源を考え、それらの今日的課題をどう乗り越えるかを議論するための手がかりになるだろう。それは、21世紀の日本に暮らす私たちに投げかけられた問いでもある。

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第Ⅰ部 社会的差異の近代


第1章 市民社会の境界――三月前期ドイツにおける「プロレタリア」言説から(山根徹也)  
第2章 「ふさわしい貧者/ふさわしくない貧者」の概念史――一九世紀前半の「社会問題」にみられるキリスト教的規範と市民的規範(平松英人)  
第3章 「赦し」から「予防」へ――近代ドイツにおける釈放者扶助の変容(佐藤公紀)  
第4章 ヴァイマル末期における「赤い伯爵」と労働者世界――『下からのドイツ』をめぐって(今井宏昌)


第Ⅱ部 分断と排除の人種空間


第5章 「人種」と「民族」のルーツを探る――ドイツにおける人類学および考古学の誕生(磯部裕幸)  
第6章 スイスにおけるユダヤ人の国民意識――「同化」の解釈とシオニズムへの対応(穐山洋子)  
第7章 褐色のウィーン――〈人種・ネイション〉期のユダヤ迫害と〈生〉の歴史(水野博子)


第Ⅲ部 変容するドイツ/ドイツ人


第8章 「帰国」するドイツ人――第一次世界大戦下の東欧支配の論理とドイツ人意識の可塑性(伊東直美)  
第9章 移動する人々と国民の輪郭――占領期から西ドイツへ(川喜田敦子)  
第10章 東ドイツという境界――「ナショナル・コミュニスト」としてのヴォルフガング・ハーリヒ(伊豆田俊輔)  
第11章 空襲記憶に見る越境的な想起文化――ギルヒング空襲記念碑を手がかりに(柳原伸洋)  
特論 ドイツの刑事警察・犯罪学とシンティ――二〇世紀におけるエスニック・マイノリティの発見、捕捉そして迫害(パトリック・ヴァーグナー:猪狩弘美・石田勇治訳)